裸足という最高の道具

随分とお久しぶりの投稿になってしまいました。T-FOOTの小林です。

前回の投稿から1年以上経ってしまいましたが、この1年も様々な経験や出会いがあり、1年前の自分よりも1段階どころか更に3段階も4段階も上がれたような気がします。特にここ数ヶ月はそのスピードが加速しています。分野は多岐にわたり、最近のトレンドは、舌や歯と脳の関係、エネルギーの流れ、場の調整、共鳴の整え、波動のゆらぎ、鈍感力と神経質、こだわりと囚われ、遠隔操作と祈りと神社などなど、あげればキリがないですが、絶妙なタイミングで書籍や情報に出会い、人や場所に出会い、それが自ら動いているから訪れるという理由もハッキリしてきました。

さて、前置きが長くなりましたが、、、、

先日、代々木公園で裸足ランのパイオニアである吉野さんの裸足ラン講座を受けてきました。

吉野さんは宮崎さんの紹介で約1年半前にお会いさせて頂き、それから講座を受けてみたいと思っておりましたが、なかなかタイミングがあわずで時が過ぎ、今回ようやく実現しました。

まず、結論から申し上げますと、最高すぎました!!学びが多すぎ!!

ここ数年、私自身もサイズピッタリで品質の高い靴を履き、なんなら最高峰メーカーのファンクショナルインソールを使い、走行距離が減ったとはいえここ1年も月100kmはジョグを中心に走りを継続し、古武術の身体操作も学び、足も脚も身体も整えてきたつもりでしたが、吉野さんがお手本でしてくださる走りや動きが何一つ上手く出来ませんでした(汗)

でも、考えてみると当たり前なんです。裸足で生活するのは室内くらいで、普段は靴を履いているんですから。結局裸足の使い方を忘れてしまっているんです。サーフィンとかしているともう少し感覚が良いんでしょうが。

また、講座の2時間で足裏に入ってくる情報が多すぎて、アスファルトや土の感覚、石の冷たさや大地の温かさ、小石や木の枝を踏んだ感覚、芝生の心地よさ、などなど、まあ情報量が多い多い。

靴下を履いただけで、もうそれらの情報は半分以上遮断されてしまって、布の感覚がほとんどになってしまう。サンダルでもゴムの感覚がほとんど優位になってしまう。靴下を履いて靴を履いたら、もう路面の感覚なんかほとんど伝わらない。靴を履いてランニングしていても、砂利やロードや芝生の違いはわかっていたつもりですが、改めて裸足になってみると、情報量の違いが凄すぎる。

日本人は他国に比べて色々な食材を食べていて、幼少期から舌からの情報が多いために日本食が本当に繊細な料理になっているし、手先を使った教育や仕事も多いため、細かな作業や繊細な手仕事が価値になるし、人間の重要な感覚受容器である、舌・手・足のなかでも、圧倒的に足からの情報が少ない生活をしてきたんだなと気づきました。

それに、骨格がどうとか、接地がどうとか、そんな理屈はおいといて、単純に気持ちよかった。

先生と呼ばれる人でも、私が苦手な、小さな事にこだわりすぎて更にそれを他人にも求めるような目がつり上がっている人とは真逆で、吉野さんの穏やかな雰囲気の講座も心地よかったし、講座でご縁を頂いた大友さん(またどこかでご紹介します)との出会いも最高でした。(ちなみに大友さんに、小さな事にこだわる人の目のつり上がりを後日教えてもらいました。)

天から与えてもらった基本中の基本の道具である足の使い方を忘れてしまっているなら、イイもの被せてたところでたかが知れてますね。虫歯の原因を追究せずに、とりあえず削って被せているようなもの。まあほとんどの人は虫歯の痛みさえ取れれば、それで満足なんですが。

最高の道具である足(裸足)の使い方を忘れた状態なのに、品質の良い靴を正しいサイズで正しい方法で履いてる自分の足は整っていて、だから正しく使えている、と本当に勘違いしていました。後日ランニングシューズを履いて走ったら、包まれているんだけど足の動きと自分の意識が裸足主体になった感覚でした。今まではどっちかというと靴主体で靴任せ。

下駄も改めて、「裸足ありき」なんだと気付いた講座でした。でも、靴や靴下を脱がないと履けない下駄というのは、裸足への案内役として、少しでも裸足になる機会を作ってくれて、気づきも多い良い道具だな、とも改めて感じました。

とりあえずこれ履いとけば大丈夫、これ使っておけば大丈夫、これ飲んでおけば大丈夫、そんなモノは人々の考える力を止めてしまう可能性がある。それよりも、まずは裸の自分を知る事。色々な学び多い講座になりました。

裸足になるだけでもオススメですが、吉野さんの講座だと最高のお手本が見られ、もっと感じる事が多いと思うので、本当にオススメです!(回し者ではありませんよw)

ではでは、また1年後(笑)